別れ
父が他界致しました。半年間入院をしていたのでいつかはと思いながら覚悟はしておりま
したが急な知らせに驚きを隠せませんでした。その日は出張の為東京滞在中であった為に
残念ながら最期の立ち会いに間に合うことが出来ませんでした。
父との思い出は沢山ありますがまず私がこの観光業界を目指したキッカケは父の存在が
大きく影響しております。物心ついたときには既に毎週のように山登りやハイキング等
あちこちと出掛けておりました。思い出の一つに秋田県境の山へハイキングに出掛けたこと
が思い出されます。山の中を歩いていた時にだんだんと道無き道を歩き始めた父、そのうち
雨が降ってきてびしょ濡れとなり辛くなってきた私は父に「いつ着くの?」と聞くと父は
「もう少し、あとちょっと」としか答えてくれません。全く目的地に近づく気配が無く、
私は泣きながら何時間も歩いた記憶が今でも脳裏にこびり付いています。
今考えるとあの時父は実は遭難しかかっていたのではないだろうか(笑)
父は若いころから世界各国に広がるユースホステル活動というものを行なっていました。
盛岡には日本の桜の名所100選である高松の池、市立図書館横に「盛岡ユースホステル」
が昭和49年に建設され、運営に関わっていた関係で私も幼少の頃からよく出入りをしてい
ていました。今では考えられないですが冬には高松の池でスケートなども楽しみました。
[ユースホステルとはドイツが発祥で青少年少女の旅に安全かつ安価な宿泊場所を提供しようという主旨で始まった運動とそれにより生まれた宿泊施設で世界各国にある施設です]
全国各地から泊まりにくるホステラー(ユース会員の総称)としばしばコミュニケーション
をとったり自らも父と一緒に全国のユースホステルを泊まり歩いていました。
全日本ユースラリーという全国のホステラーが集まる大会となると全国最年少ホステラーと
して皆に可愛がってもらったことも懐かい思い出です。
ユースホステルに宿泊すると会員証に付いてもらうご当地の特色あるスタンプを
集めるのも楽しみの一つでありました。
同時期に父は青少年育成の為野外活動スポーツ少年団を設立し代表として私を含めた
盛岡市内の小学生を春夏は山登りやキャンプ、夏秋は海水浴自然体験、冬はスキースケート
等に連れて歩いていたので、ある意味毎週末は行事がびっしり忙しい日々でありました。
中学、高校と進学するとクラブ活動が忙しくなり一緒に旅をすることも少なくなりまし
たが幼少から父と旅をした体験と記憶はいつしか自分の夢になっていきました。
「世界中を旅してみたい」
夢を実現する為に旅行会社に就職した旅を仕事にすることを、いちばんに喜んでくれた父。
晩年は体調が思わしくなく会話も少なくなり、本音で話し合うことが中々出来なかったこと
海外旅行へ連れていくことが叶わなかった事が唯一の悔いではありますが、孫達の成長を少しでも見せることが出来たことが救いです。
今後は父が私に教えてくれた旅の素晴らしさ、そして故郷岩手、盛岡の素晴らしさを
多くの方々に広めていく事が恩返しになるかなと思っております。
お世話になった皆様本当にありがとうございました。
写真:父が好きだった 岩手山と高松の池
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